オランウータンの生息地を守り絶滅を防ぐためには、オランウータンの生態を調査・研究することが非常に重要です。 私たちは、マレーシアのダナムバレイ森林保護区において、オランウータンの調査を進めています。
調査地・ダナムバレイとは?~一斉結実が起こる森~
ダナムバレイ森林保護区は、マレーシア・サバ州の都市ラハダトゥから車で2時間半移動した場所にあります。ダナムバレイは、サバ州全土のうちわずか4.6%しかない貴重な原生林の一部で、第一級保護林に指定されています。ボルネオの低地熱帯雨林の中でも、もっとも古い原生林が広がる、厳重に保護された自然豊かな地域です。
ダナムバレイにはたくさんの動物が生息していますが(125種の哺乳類、鳥類275種、爬虫類72種、両生類56種、魚類37種)、その中でも特に有名なのが、オランウータンです。
この森林の特徴は、植生は低地混交フタバガキ林であるため、2~10年に一度、多数の樹種が同時に結実する「一斉開花・一斉結実」という現象があることです。この現象は、主に原生のフタバガキ種が優占した原生林でしか顕著に発生しないため、この現象を研究できる環境は非常に少なくなっています。
一斉結実が起こった数か月は、オランウータンらは集中して果実のみを採食し、通常の2~4倍以上のカロリーを摂取して脂肪を蓄積します(knott,1998)。そして、次の果実期まで、蓄えた脂肪を燃焼しながら、果実欠乏期をしのいでいるのです。ダナムバレイでは、オランウータンがこの現象に伴って採食・行動・生理をどのように適応させているのかという点に注目して、研究を行っています。
調査の重要性
私たちが研究対象とするのは、ボルネオオランウータン(Pongo pygmaeus morio)です。ダナムバレイ保護区には、約500頭のオランウータンが保護区内の豊かな森林で生息しています。この地域は、生息環境さえ維持されれば、100年後も生息数が変わらない可能性が高い個体群として、期待されています。
現在では、オランウータンの生息地は二次林が多く、原生林に生息しているオランウータンの調査地はとても少なくなっているため、本来のオランウータンの生態の観察できる場所として、貴重になっています。この保護区での長期調査は、オランウータンの研究だけでなく、劣化した生息地との比較という視点でも、保全事業として重要な役割を担っています。
ダナムバレイでの調査の様子
調査拠点の紹介
私たちは、保護地域の入り口から約36km離れた場所にある観光用宿泊施設、ボルネオ・レインフォレスト・ロッジの周辺4㎢で主に調査を行っています。私たちはこの施設の従業員が住む村に調査小屋を持ち、電気・水道などのインフラをこの施設に依存して生活しています。
観光用宿泊施設ボルネオ・レインフォレスト・ロッジ Borneo Rainforest Lodge
宿泊費には、ラハダトゥ空港からの送迎、1日4回のエコツアーガイド、1日3食の料金が含まれています。
私たちの調査拠点となっている調査小屋「クアラ・スンガイ・リサーチステーション(KSDRS)」は、京都大学野生動物研究センターとダナムバレイ保護区の所有者サバ財団とのMOU協定によって、2010年に設立されました。2023年以降は、サバ財団と日本オランウータン・リサーチセンターによって運営されています。小屋には、現地アシスタント2~3名が滞在し、研究者と共同生活を送っています。近くの都市に食料の買い出しへ行くのは月に一回のみ、まさにアシスタントと同じ釜の飯を食べて生活しています。
オランウータン研究の難しさ
オランウータンの研究は、他の大型類人猿、チンパンジーやゴリラと比較すると、あまり進んでいません。それは、オランウータンが、広大で鬱蒼とした熱帯雨林の中で、群れを作らずに、一頭だけで、樹上で生活していることと関係があります。森の中でオランウータンを見つけるのは、大変難しいのです。
オランウータンは、一頭で移動するので、鳴き交わすこともほとんどなく、移動の音も静かなために、なかなか気が付くことができません。また、オランウータンの赤褐色の毛色は、枝に引っ掛かっている枯葉の色とよく似ていて、とても見つけにくいのです。では、どうやってオランウータンを探すのでしょうか。私たち研究者がオランウータンを探すときには、ゆっくりゆっくり森を歩いて、地上にあるオランウータンの糞や尿の臭いを探します。新鮮な臭いがする場所を見つけたら、その臭いの樹上を丁寧に見渡し、オランウータンの姿を探し出します。
ベテランの調査アシスタントならば、半日から一日で、オランウータンを見つけ出すことができます。しかし、森の中にオランウータンの好物の果実がないときには、一週間かけて探しても見つからないこともあります。
このように、オランウータンの調査では、現地のアシスタントの協力が必須です。観察対象に出会える機会がとても不安定なので、データの収集の効率は大変悪く、多くの霊長類研究者がオランウータンの研究を避ける理由の一つになっています。
調査対象のオランウータン
2024年現在、これまでに79頭のオランウータンを個体識別してきました。その中でも調査エリア周辺に生息する17頭は、親元を独立、繁殖、出産という成長の過程をモニタリングできています。下記の写真は、2022年から2024年にかけて観察できている個体、23頭です(母子は1個体と数えます)。
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Aco
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Amy with Gab
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Beth with Lan
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Bod with bidee
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Chris
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Danum
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Fara
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Gotenz
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Helen with Lucy
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Jack
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Jeny with Jimy
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Kate
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Khai
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Lina with Lily
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Linda with Luffy
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Lom
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Lya
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Mike
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Sheena with Elis
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Son
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Sumi with Lexi
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Yamato
野生オランウータンの一日と、その調査の様子
オランウータンの生活と、私たちの1日の調査をご紹介します。
朝
オランウータンは、毎晩樹上に新しい巣を作って眠ります。私たち研究者チームは早朝5時半ごろ、オランウータンが巣から起きる数十分前に、オランウータンの巣の下で起きてくるのを待ちます。
個体や季節によってバラバラですが、6時を過ぎるころに、オランウータンはゆっくりと巣から出てきます。
オランウータンは、採食をしながら、食べ物のある次の場所へと移動していきます。この間私たちは、追跡しながら、「1分に1回」のペースで、オランウータンの行動や食べ物を記録していきます。
昼
昼前後の気温が高くなる頃には、オランウータンは移動をやめて、風通しのよい太い枝の上で休憩します。
そして、風が出てくる午後になると動き出し、オランウータンは移動・採食・休憩を繰り返します。
夕方
夕方、日が沈む5〜6時ごろに新しく巣を作って眠ります。巣は大きな鳥の巣のような形状をしていて、細い枝を内側に織り込む作業を繰り返して作ります。巣を作る時間は、3〜5分くらいです。
オランウータンが眠りにつく頃、私たちはオランウータンが巣で就寝したであろう様子を、暗闇で目をこらして確認します。そして、やっと一日の調査が終了し、私たちも調査小屋に帰ります。
ダナムバレイの調査における研究テーマの例
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生息数の変化を知る(金森 朝子)
ダナムバレイの個体群にどのような変化が起きているのかを把握するために、オランウータンの生息密度を調べる調査を毎月、20年間以上続けています。
また、森にどのくらいの果実が結実したかを調べるために、森の果実生産量を調べる調査も毎月行っています。この結果をオランウータンの生息密度と照らし合わせます。そうすると、果実が多い果実期には、オランウータンも果実を食べるために集合するため、オランウータンの生息密度も一時的に高くなるといったことがわかります。 -
食物から森を理解する(金森 朝子)
ダナムバレイのオランウータンの食物の99%は植物です。食用にする種類はとても豊富で、果実・葉・樹皮・花など73科174属365種以上にもなります。原生林で生活するオランウータンがどのくらいの多様な植物相を必要とするのかを調べることで、ボルネオ島に残された貴重な原生林の生態を明らかにする研究を行っています。
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親子関係から、社会を探る(田島 知之)
オランウータンは群れを作らないため、行動観察のみからでは父親などの血縁関係はほとんどわかりません。オランウータンの糞を集めてDNAを鑑定し、血縁関係を調査しています。この調査によって、個体同士のつながりを理解し、単独性のオランウータンがつくる謎多き社会を明らかにできます。
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繁殖(久世 濃子)
オランウータンの尿を採集してホルモン値を測定し、繁殖の研究をしています。
メスは6~9年に一度しか発情しないため、この研究のデータを集めるには長い時間がかかります。 -
コドモの発達(Renata Mendonça)
1歳から7歳までのオランウータンのコドモの行動の発達を研究しています。母親に依存する幼児期から、母親の周辺で採食や移動、遊びなどを習得し成長していくコドモ期へ移行する過程の特性を明らかにしました。
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分子から明らかにする(蔦谷 匠)
オランウータンの糞や骨を集めて、それらに含まれるタンパク質やトレーサーを分析することによって、食べ物、授乳と離乳パターン、健康状態などを調べています。試料に含まれるさまざまな分子を分析することで、行動観察やDNA分析からはわからなかったオランウータンの生きざまを明らかにできます。
なぜ長期研究が必要なのか
オランウータンは成長が遅く、寿命が長い動物です(推定年齢50-60歳)。
私たちの20年の調査期間は、オランウータンの長い人生のほんの3分の1でしかありません。
オランウータンの生態を正しく理解し、生息数を減らさないよう見守るためには、
可能な限り長期的な調査が必要なのです。